島根にまで来て考えてみた #3
島根の窯元を巡るのには
実は理由がありました。
日本橋で民藝展を見てからというもの、
ずっと気になっていたことがあるのです。
それが、
なぜ、これらは今も残っているんだろう?
100均で手軽に器が買えるこの時代に、
今でも窯に火が入る。
有名な窯元ブランドだから?
昔からの固定客がいるから?
観光客がお土産に買っていくから?
現地に行けば、もう少し
そのことが分かるような気がして訪問したわけです。
変化する伝統
歴史のあるそれぞれの窯元には、
長い時間をかけて培われてきた技法や、
その窯らしい色、形があります。
同じ「民藝の器」とくくられていても、
出来上がるものには、
はっきりした違いがあります。
そのうえで、
出西窯は、器づくりから暮らし全体へと世界を広げ、
湯町窯は、今の生活に合わせた多様な器をつくり、
袖師窯は、新柄や郷土玩具制作にも取り組んでいます。
それぞれに受け継いできたものがあり、
その一方で、変化してきたものもある。
なるほど。
本来の魅力を失うことなく、
時代に合わせて変わってきたことが、
今なお残っている理由のひとつなのかもしれません。
ー完ー
……。
いや、もう少し語らせてもらいます(笑)
では「残したい」と「残る」は
果たして同じことなのでしょうか。
「残したい」の主語
「残す・残したい」という言葉には、
強い意思があります。
伝統を残したい。
技術を残したい。
次の世代へ残したい。
そう願うのは、たいてい
つくる側、伝える側です。
人形でいえば、私たちもこちら側です。
節句に人形を飾るという文化を、
次の世代へ残したいと本気で思っています。
でも、
お客様は、伝統文化を残すために
人形を買うわけではありません。
子どもの誕生を祝いたいから。
健やかに育ってほしいから。
家族の思い出を大切にしたいから。
そして、
「この人形がきれいだな」
「これなら家に飾りたいな」
そう思ってくれたからこそ、選んでいただける。
そこに、
「日本の伝統文化を残さなければ」
という使命感があるわけではないでしょう。
「伝統だから残しましょう」という言い分は、
少々こちら側の都合なのかもしれません。
「残る」を決めるもの
三つの窯元に並んでいた器も同様に、
「民藝を後世に残すために買おう」
…という考えをもって選ぶ人ばかりではないでしょう。
「あ、これいいな」
「これを食卓に並べたいな」
買う理由は、案外そんなところなのかもしれません。
器なら、使いたいと思う人がいて、
その人の暮らしの中で使われる。
人形なら、飾りたいと思う人がいて、
毎年、家の中に飾られる。
「残したい」から選んでいるわけではない。
でも、それを選んでくれる人がいる。
私たちが「残したい」と願うのであれば、
伝統を残す義務を
買う人に背負ってもらうのではなく、
今の人にとって、
選ぶ意味のあるものになっているか。
私たちが考えるべきなのは、
むしろこちらなのでしょう。
残したいと思う人がいて、
それを選んでくれる人がいる。
二つが重なり続けた先に、
残したいものが、ようやく
残るものになるのかもしれません。
ーホントの完ー