雛人形作家 清水久遊|インタビュー

清水久遊プロフィール

愛知県蒲郡市にある雛人形工房ひいな。"清水久遊"の作号でご活躍されているのは工房の創業者でもある清水久美子さん。女性ならではの感性と常識にとらわれない柔軟な発想を強みとして、独自の世界観を築きあげてきた女流雛人形作家の第一人者にお話をうかがいました。


■この仕事を始められたきっかけなどを教えてください。


18歳のとき、節句関連の仕事をしていた主人との出会いがこの業界に携わるご縁となりました。はじめの頃は人形づくりでなく付属する装飾品を制作していましてね、具体的にいえば"御殿飾りの御殿"です。今ではほとんど見かけなくなってしまいましたが、当時は関西方面で特に人気があったと記憶しています。


その後に人形本体の制作を営む工房へと身を置くことになったのですが、ちょうど時代はベビーブーム。生産が追いつかないほどの勢いで雛人形が売れる時代が到来しまして、とにもかくにも休む暇なく目先の仕事に追われる毎日でした。作り手には品質よりも数量が求められた時代でもありましたので"人形づくり"ましてや"人形作家"という意識は当時全くなかったですよね。

清水久遊プロフィール

昭和中期まで盛んに作られた御殿飾り。段飾りが流行した関東に対し、関西では京都御所を模した御殿のなかに人形を飾るこの様式が人気だった。
※画像はイメージです
出典: http://www.japan-toy-museum.org (日本玩具博物館) 


■久遊さんが"御殿"を制作していたとは驚きました。
 では、いつごろから自身が人形師であることを意識しはじめたのでしょう?


やはり長年勤めた工房を辞め、主人とふたりで今の工房を立ち上げる前後くらいからでしょうか。


60~70年代に手がけていた雛人形(衣装)は男雛が青、女雛が赤に限られていて、その構造は簡単に着せやすい上下セパレート型でした。十二単も実物の形状とは全く異なる代物で、作業工程の全てが「より効率的に数多く作れるか」を追求したものだったのです。また当時の節句業界は圧倒的な男社会。雛人形の美しさやひな祭りの楽しさを伝えることよりも、いくつ売ったかいくら売り上げたかのみを競い合う風潮が強い時代でもありましてね。正直その傾向に若干の違和感は感じてはいました。


時代は目まぐるしく変化していき、80年代に入ると急速に生活が豊かになりモノが溢れはじめました。その頃から「これからは画一的なモノよりも、人とは違う自分好みのモノを求められる時代が来るのではないか」と思い始めましてね、それと以前から「女性のための雛人形(ひな祭り)を女性自身が本当に喜んでくれているのか」という疑問も抱いておりまして…。周囲からは"何を面倒な作業をしているのか"と思われていましたが、自分の感性を信じて従来の雛人形とは異なる色合や様式の品を一から作ってみたのです。


これが予想以上に高評価をいただき、後の独立へとつながっていくわけなのですが、あのときの経験が"人形をつくった"と初めて感じることができたときなのかもしれませんね。ターゲットにしていた女性のお客さまに喜んでいただけたのは、作り手として大きな自信にもつながりました。


清水久遊プロフィール

■独立して苦労したことなどがあれば教えて下さい。


"こだわりのある本物志向の雛人形をつくる"という想いをもって独立したのですが、大量生産全盛の頃よりすでに確固たる地位を築き"本物"と謳われていたのは紛れもなく京都製の雛人形、いわゆる"京雛"でした。当時お世話になっていた関西の目利き人形問屋さんが所有する昔の京雛を見せていただいたときの驚きと感動は、今日の創作活動にまで大きく影響を及ぼしているほどです。


上質を求めるお客さまにとって京雛人気は依然高く需要もあることから、当初はそれを追随するよう面相まで含めて京雛に寄せた制作を行っていました。ただ本物志向ではあるものの「ここ(蒲郡)で"京都製でない京雛"を作っていくことが本当に望んでいたことなのか」という気持ちも日増しに強くなり、理想と現実との葛藤に苦しみましたね。


そんなときに前出の問屋さんから、「京風でも江戸風でもなく、あなたはあなただけにしかできない雛人形を作りなさい」と指南されましてね、その言葉に後押しされ、初心に返り女性としての感性を存分に活かした方向に思い切って進む決意ができました。また当時は珍しかった女性の人形職人である私を"女流雛人形作家"として各方面に紹介してくださいました。この一連の出来事がなければ今の清水久遊はなかったと言っても過言ではありません。本当に人と人とのつながりやご縁は大切にしないといけませんね。


■苦悩の末、独自の道を歩んだ清水久遊さんの雛人形の特徴を教えてください。


まずは色に対するこだわりです。衣装は綺麗であればどんな色合いでも構わないというわけでなく、特に十二単のかさね部分に見られる色彩は、日本古来の伝統美が表現できるよう心がけています。平安の頃より日本人が四季折々の風土から感じ取り作り上げてきた配色法である"かさね色目"。この配色法を用いたかさねに対し、調和の取れた色合いの唐衣(からぎぬ)や表着(うわぎ)を選んでいます。


次に仕上がりの造形美です。実物の雰囲気にできる限り近づけることを狙い、女雛の衣装(十二単)の後ろを長く尾を引くような形状に着付けを行っています。これは創業当初(約30年前)に考案したひいな独自のスタイルでもあります。現在ではさまざまな作り手さんがこのシルエットを採用してくださっているのですが、それはこの造形が美しいという評価がなされたからではないでしょうか。雛人形の造形として、一つのスタイルを確立させることができたことに職人としての喜びと誇りを感じていますよ。


最後は素材そのものですね。昨今はアジア諸国からの安価な輸入織物など実にさまざまな生地が人形の衣装にも使われていますが、私たちは日本の優れた織元の存在やその技術力と品質のすばらしさを雛人形を通じて知ってもらいたいと思っています。飾る際に手に取ったときは、ぜひその触感までを堪能してもらえたら嬉しいですね。また衣装の素材だけでなく、生地の裏打ちには耐久性のある上質和紙"こうぞ"を使ったりと見えない部分にもしっかりこだわっています。


清水久遊プロフィール

作業場に並ぶ作品の数々。伝統的かつ独創的な色合いが目を引く。


清水久遊プロフィール

人形の姿が決まる"腕(かいな)折り"の工程。力仕事となるため、男性の職人とは異なり久遊は全身を使い、人形を包み込むような姿で作業を行っていた。またその際に用いる道具も自作だそう。


■では最後に、今後の展望や目標を教えてください。


今日まで築き上げてきた工房ひいなのクオリティを落とすことなく、次世代にも繋げていきたいですね。そのためには男雛女雛の2種類だけでなく、三人官女、五人囃子、随身、仕丁に至る15体全てにおいて正しい技術の継承をしていかなければならないという責任を感じています。雛人形は複数の職人による分業で成り立っていますので、それがひとつでも崩れたら安定した造形美は維持できません。技術は頭でなく手でおぼえていくしかないので、作り手の技能を見極めながら適切な助言をするよう心がけています。現在工房では孫2人が職人として活躍してくれていますので、彼女たちにモノづくりの楽しさや奥深さを伝えていくためにもまだまだ頑張らないといけませんね(笑)


それと最近は、空間全体までを作品と見立ててしまうような演出方法にも興味を持っています。以前旅行でスリランカを訪れた際、日本の高級陶磁器ブランド"ノリタケ"の品々が異国情緒あふれる空間に違和感なく調和して飾られていたことに感銘を受けました。"雛人形=純和風"といった固定概念にしばられることなく、現代のあらゆる生活様式に自然に寄り添える雛人形やその飾り方を提案していけたらと思っています。


柔軟な発想で従来とは異なる角度のアプローチが今後増えていけば、これまで雛人形のことをよく知らない若年層や男性、海外の人たちからも興味を持ってもらえるチャンスが生まれていくのではないでしょうか。

清水久遊プロフィール

久遊さんと一緒に孫のゆたかさん(中)と洋子さん(左)。現在姉のゆたかさんは女雛を、妹の洋子さんは男雛を担当している。


少子化に伴いマイナス面が語られることの多い節句業界ではありますが、それは何も策を講じなかった場合の話。日本の伝統文化に秘められた潜在力はまだまだ未知数ですからね、その可能性を信じてこれからも皆さまに喜んでいただける人形を作り続けますよ。





清水久遊ロゴ

清水久遊

昭和13年愛知県生まれ。本名"清水 久美子"。18歳より人形製作を始め、昭和62年に有職雛工房「ひいな」を設立。生地の裏打ちには和紙の中でも耐久性に富む樹皮繊維の"こうぞ"を使ったりと、見えない素材の一つ一つにもこだわりを持つ。女性ならではの感性と常識にとらわれない柔軟な発想を強みとして、独自の世界観を築きあげてきた女流雛人形作家の第一人者。▶インタビューページへ


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