鈴甲子雄山(鈴木順一朗)プロフィール


伝統的な鎧兜の節句人形だけでなく、国宝や重要文化財として現存する甲冑の忠実模写や独創性の高い創作人形までをも得意とする名門甲冑工房 鈴甲子雄山。明治の頃より続く工房の代表を現在務めているのは"四代目雄山"を襲名する鈴木順一朗さん。経済産業大臣指定の伝統工芸士であり、 壱三 縫nui など別ブランドのプロジェクトでもご活躍されている四代目雄山さんにお話をうかがいました。


■はじめにこの仕事を始められたきっかけを教えてください。


親父も甲冑職人だったので(実父は平安道斎)、家業として自分が後を継ぐのは自然の成り行きでした。絵を描くことや手先を使うモノづくりは得意だったのですが、甲冑の制作技法はもちろん、その背景にある知識もまた素人同然。正直戸惑いながらのスタートでしたよ。


■甲冑づくりに精通している今の状況からは想像できませんね(笑)では、いつごろから本格的に甲冑師の道を歩みはじめたのでしょう?

90年代前半。おそらく初めて新製品作りを任されたときですかね。

地道に作業を覚えながら「自分が買う立場だったらこういうのが欲しいな」「こんなのがあったら面白そうだな」は常に考えていました。入社してからしばらくして親父から「新しい製品を作ってみるか?」と言われたとき、蓄積されていたイメージはあるものの、具体的なところまで辿り着いていなかったので、無我夢中で専門書などを調べた記憶があります。

鈴甲子雄山プロフィール

いざ制作の段階に入ってからは、それぞれの職人たちに具体的なイメージを伝えたり仕事を振り分けたりしながら、モノづくりにおいてコミニュケーションがいかに重要かを気づかされました。新商品ひとつ作るに、これだけの人を動かすのかという驚きとともに責任感も芽生え、現場の最前線で行うべき仕事の基礎がこのときようやく学べた気がしましたね。完成したときはみんなで作り上げたという達成感もあったし本当に嬉しかったですよ。

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"この道でやっていこう"となる決め手は、この時の経験が楽しかったからでしょうね。ただ与えられた仕事ではなく、自らが企画立案をし、計画を立てながら作品を作り上げていくというプロセスもまた"自分に向いている"と感じました。


■ちなみに最初の作品は何だったのでしょう?

仙台藩の名将 伊達政宗の兜です。シンプルながらも存在感のある五月人形があってもカッコいいな…と思っていたところに出会ったのが伊達政宗の甲冑でした。当時大河ドラマでも話題となり、知名度も高い武将だったことも選んだ理由のひとつです。

それに当時は今のように戦国武将の五月人形はほとんどありませんでしたから、作ったらお客さんたちはどんな反応をしてくれるか知りたいという好奇心もありましたね。

■忠実模写シリーズの伊達政宗ですか?

いいえ、はじめに作ったのは三日月型の前立以外は既存の兜をベースにしています。忠実模写はそれから少し経ってからですね。

おかげさまで初期の政宗兜は小売店さんや問屋さんにも好評でしたが、人間は欲が出てくるもので「もう少しこうすれば良かった」とか「より実物に近づけてみたい」という思いが日増しに強くなってきましてね。

「それならいっそのこと見に行こう」という話で盛り上がり、同世代の職人を引き連れて仙台の博物館に向いました。「後ろはこうなっていたのか」「実物はこんな色だったのか」と驚きの連続でしたね。なにせこれまで図鑑でしか見たことがなかったんですから(笑)。それから一気に伊達政宗の模写に挑戦してみようという機運が高まったことを皮切りに、忠実模写シリーズが動き出したという経緯があるんですよ。

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▲ 四代目雄山デビュー作品"伊達政宗之兜20号"。全国節句人形コンクールで見事、内閣総理大臣賞を受賞した。


鈴甲子雄山作 伊達政宗の鎧10号 本仕立

▲ 戦国武将忠実模写シリーズ"伊達政宗公具足10号"。その細部にまでこだわり抜いたつくりは専門家までをも唸らせた。

インターネットの発達により今は情報が入手しやすい社会になったが、当時はそういったものがまだ一般的ではない時代だったため、些細なことでも疑問があればその都度実物を見に行ったそう。そのため雄山一行が仙台へ足を運んだのは一度や二度ではないという。撮影も禁止されていたため、通うたびにラフスケッチをその場で何十枚と描いたそうだ。

このような活動は忠実模写を手がける上での礎となっており、現在も全国各地を訪れ実地に調べあげている。「ものづくりに際し、その場で感じる空気感や創作欲求を特に大事にしている」と鈴木代表は語る。


忠実模写シリーズは"一般の人にはマニアック過ぎる" "略式化してコストダウンしたほうがいい"などと言われることもありますが、現存している甲冑だからこそ簡略化するのが難しいとも感じています。念入りな調査をしているにも関わらず、目の肥えたお客さまから「ここ違うよね」と言われるのは嫌ですし、やはり「自分はこういうものが欲しい」という考え方にもこだわりたいんですよね。


■そのこだわりは確実にお客さまに喜ばれていますよね、売場の反応でよくわかります。では最後に、雄山さんからみる工房の魅力や今後の展望を教えてください。

魅力としてはまず挑戦できる土壌があるというところでしょうか。こうしたいと思っていても、最優先事項ではないなどの理由から、せっかく出たアイデアを寝かせてしまう工房もあると聞きます。しかしうちは出たアイデアとチャレンジ精神は大事にしています。

それからスタッフ(職人)に恵まれていることも大きいですね。ベテランから若手まで、志をもった職人たちが熱心にものづくりに励む姿は私自身への刺激にもなっています。

現在、工房には経済産業大臣指定の伝統工芸士4名と東京都指定伝統工芸士1名が所属している。同工房内にこれだけの工芸士が在籍するのは業界内でも異例中の異例である。

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今後の展望は魅力とも重複しますが、親父がしてくれたように自分も職人たちに出来る限りチャンスを与えていくつもりです。年齢や性別の垣根を超え、新しいことに挑戦しながら次世代に繋がる道を切り拓いてもらいたいと望んでいます。


時代は変化していますが、これからも品質の高い価値ある商品を提供していくことが目標であることに変わりはありません。節句品はお子さまにとって、家族の想いがつまった一生に一度の大切な贈り物。その事実と日本のものづくり精神に恥じないよう、これからも技術と品質の向上に努めて参ります。






鈴甲子雄山 ■経済産業大臣指定伝統工芸士 ■日本人形協会認定節句人形工芸士

明治時代、初代雄山"鈴木甲子八"により東京都墨田区に創業。業界屈指の技巧派として不動の地位を確立。国宝や重要文化財などの現存する甲冑を実地に調べあげ忠実に模写する技術は極めて高く、その作品の数々は重厚且つ繊細。専門家たちからも高い支持を得ている。 ▶インタビューページへ