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房総のサムライ展(五月人形 源頼朝)


源 頼朝(1147~1199)とは?

久安3年(1147年)尾張国熱田(名古屋市熱田区)で生まれる。幼少の名前は"鬼武丸"。中世日本の立役者であり鎌倉幕府を開いた武将。貴族社会から武家社会中心の政治を行い、自らは征夷大将軍という地位につく。政治的能力・人材掌握力に優れ、日本史上稀に見る組織運営の天才と評された。後世にまでその影響力は及び、徳川家康も頼朝の手腕を手本としていた。

源頼朝肖像画

五月人形のモデルにしたのはこの甲冑

国宝白糸威鎧

▲ 国宝 白糸威鎧

島根県出雲市に鎮座する日御碕神社。同社所有の「白糸威鎧」は、鎌倉時代に源頼朝が神馬一頭とともに奉納したと伝わる。兜正面の鍬形台には花輪違文が据えられ、胴正面の絵革部分には、利剣と羂索(けんさく)を持った不動明王が火炎の中に立つ姿が描かれる。何色にも染まらない神の色と讃えられた白糸を基調とし、威圧感のない上品な装いが特徴的。江戸時代に修理され、昭和28年に国宝に指定。現在は東京国立博物館に保管されている。

黄瀬川陣と洞窟の頼朝

▲ 獅噛前立赤糸威之大鎧

東京国立近代美術館蔵「安田靫彦作 黄瀬川陣(上)」と大倉集古館蔵「前田青邨作 洞窟の頼朝(下)」2点の名画に描かれた頼朝はともに「獅噛前立赤糸威之大鎧」を身に着けた姿が描かれている。兜の前立には霊力があると信じられた獅子の面が施され、甲冑全体は将軍らしく、力強い赤糸の装いで描かれた名画である。


源頼朝の軌跡

房総の頼朝伝説とその軌跡

伊豆で挙兵するも戦いに敗れ、船にて房総に落ち延びた頼朝。その後わずか一ヶ月余りで関東の豪族らを味方につけ再起を果たすとともに歴史を動かしました。そして房総から鎌倉に向かう旅の途中、頼朝は房総各所にさまざまな伝説を残します。地域別にわけ代表的なエピソードのいくつかをご紹介します。


鋸南町

狩島狩島(竜島)

治承4年(1180)8月29日、頼朝が房総に上陸した地。船から降りた岩場にて、サザエを踏んで怒った頼朝が『サザエあるとも角あるな』と一喝。以来竜島のサザエには角がなくなったという伝説がある。

神明神社神明神社(竜島)

上陸初日に地元住民から手厚いおもてなしをうけた後、神明の森で夜を明かしたといわれている。現在その跡地は神明神社として残っている。

飯島飯島(竜島)

頼朝が上陸後、土肥実平に命じて飯を炊かせたことから名付けられたとされる岩場。この周辺には、左右加・馬賀など頼朝から与えられたといわれる姓が今も残っているとか。

江月馬ノ住江月馬ノ住(江月)

白毛の名馬 池月(いけづき)を献上された地。池月がなまって現在は江月となったのだとか。今でも馬の住んでいた場所は馬ノ住(まのすみ)と呼ばれている。近くには池月をつないだとされる"馬つなぎ石"が残る。

木更津市

旗竿村旗竿村(畑沢)

頼朝がこの地に立ち寄り見た竹林があまりにも美しかったため、この竹を源氏の旗竿にすると決定。村人が竹を削り手助けし、頼朝よりこの地を旗竿村と命名される。その後、旗竿の音が畑沢に転化し現在に至る。

浅間神社浅間神社(畑沢)

頼朝が戦勝祈願し、後に平家を倒し鎌倉に開幕した際にお礼として観音菩薩(かんのんぼさつ)の仏像を奉納したとされる神社。

白幡八幡神社白幡八幡神社(畑沢)

竹薮のあった場所に頼朝が源氏の守護神を祀った神社。兵糧や武具を整えたことから"袋下"という字が残る。

八剱八幡神社八剱八幡神社(富士見)

社殿は鎌倉幕府を開府したおり、頼朝から寄進されたと伝わる。君津市草牛の森家で休息した頼朝がそのお礼に植えたとされる"お手植えの蘇鉄/そてつ"が大正15年この神社に奉納され、現在に至っている。

袖ヶ浦市

飽富神社飽富神社(飯富)

頼朝が戦勝祈願した上総国の古社。ここから先の道案内を神社の禰宜(ねぎ)に頼んだとされる。

鎌倉街道鎌倉街道

袖ヶ浦市から市原市方面にのびる街道。中世は鎌倉までつながる重要な道路であった。この袖ヶ浦三ツ作から市原市立野に続く区間は【鎌倉街道 上総道】ともよばれ、平成8年に文化庁により"歴史の道百選"にも選定されている。

八幡神社八幡神社(下新田)

一説にはこの神社の御神体は白馬にまたがる頼朝だといわれる。神社の近くに"白羽/しらげ"という地名があるが、これは頼朝軍の道案内を白鳥がしており、羽根を落としながらその役目を果たしたところからその名がついたと伝わる。

市原市

切替家切替家(立野)

上総国府攻略の作戦をたてる際立ち寄った立野村の豪農、立野長右衛門宅。裏山の竹を切り、源氏の旗竿をあらたに切り替えたことから頼朝より"切替"の姓を与えられた。

姉埼神社姉崎神社(姉崎)

頼朝が武運長久を祈願し馬揃え(軍事パレード)を行ったとされる。これにより姉崎神社では流鏑馬(やぶさめ)神事が行われるようになった。※現在、流鏑馬神事は行っておりません。

大宮神社大宮神社(五井)

戦勝祈願をしたとされる神社。現在も残る御神木の大銀杏は、源氏再興を占い頼朝が植えたと伝えられている。またこの銀杏は市原市より保護樹木指定第一号に認定されている。

飯香岡八幡神社飯香岡八幡神社(八幡宿)

源氏復興に協力した下総の豪族千葉氏の案内により祈願に訪れた神社。『枯れずに根付けば源氏に幸あり』と頼朝は銀杏の木を逆さにして植え、見事成長した"逆さ銀杏"が境内にあり、逆境打破のシンボルとしてパワースポットにもなっている。

千葉市

千葉白旗神社白幡神社(中央区)

頼朝が千葉城主の千葉常胤を頼りここを通過する際、源氏の白旗を立て奉納したことから社名がついたとされている。

君待橋君待橋(中央区)

千葉常胤が頼朝を出迎えたと伝わる橋。現在、区画整理のため橋はなくなってしまったが、もとあった場所の一部を"君待橋園"として公園を残し、石碑が建てられている。

房総の頼朝関連イベント

保田川頼朝桜の里 竹灯篭まつり

保田川頼朝桜の里 竹灯篭まつり

"頼朝桜"をご存知ですか?千葉県鋸南町では、房総の地に流れついた源頼朝の姿に重ね合わせ、伊豆から渡ってきた河津桜を頼朝桜と名付け日本一の桜の名所とすべく町民一丸となり植栽に取り組んでいます。

その開花時期に合わせ、毎年2月下旬に「保田川竹灯籠まつり」が開催されます。保田川頼朝桜の里づくり実行委員会のみなさんが中心となり制作された手づくり竹灯籠のやわらかな灯が、頼朝桜をより幻想的に演出しており、また地元特産品などの販売も行われ、地元住民のみならず観光客を楽しませてくれています。

お祭りに使用するろうそくは廃油から作り、竹も竹炭にして再利用するなどエコ活動にも積極的に取り組んでいます。ぜひご家族揃ってあたたかくしてお出かけ下さい。


【問合先】保田川頼朝桜の里づくり実行委員会

【お電話】0470-55-1560(鋸南町地域振興課内)

【公式HP】http://hotagawa.m-boso.com/


いちはら大綱引

いちはら大綱引

毎秋行われる市内最大イベント"上総いちはら国府祭り"内で行われている関東最大級の綱引き"いちはら大綱引"。いちはら大綱引実行委員会のみなさんが中心となり、市原市の新名物になるべく地域活性化運動の一環として、2012年から始まりました。

地域にさまざまな伝説を残した源頼朝の"行動力"や"結束力"にあやかり、結束力№1地区をトーナメント方式で決定するこの戦い。各地区の頼朝伝説に由来するロゴマークを軍旗とし、東・西・南・北に分かれた4チーム(各250人)が、全長150mある大綱の中心に設置された檜舞台を引き合う、変則的な綱引き神事です。

関東最大級の綱引きの迫力と、毎年グレードアップする趣向を凝らした演出は一見の価値あり。地元住民のみならず市外からお越しの皆さまも十分楽しませてくれています。会場にはたくさんの屋台も並びますのでぜひご家族揃ってお祭り気分を味わって下さい。


【問合先】いちはら大綱引実行委員会(事務局:一般社団法人市原青年会議所)

【公式HP】http://ichiharaootsunahiki.com/

五月人形を通じた思い出づくりに

すでに購入済みのご家族はもちろん、今後購入を予定している皆さまも男の子が大きくなったときにこれらのイベントに足を運んでみてはいかがでしょう?

「このお祭り、お祝いで飾っている人形と関係があるんだよ。」 そんな話をしながら、親子一緒に贅沢な時間の過ごし方ができるのではないでしょうか。

そして将来お子さまが大人になり、ふと端午の節句をふと思い出したとき、子供の頃の記憶とともに親子ですごした素敵な思い出もきっと蘇るはずです。

ぜひご家族揃って端午の節句、各地の頼朝行事、そして源頼朝の五月人形をお楽しみ下さいませ。

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