雛人形作家 横山一彦|インタビュー

横山一彦プロフィール

江戸文化発祥の町、庶民の町として今もなお下町情緒と人情あふれる東京都台東区。この地で国指定伝統的工芸品"江戸節句人形"の制作を手がけているのが"眼楽亭富久月"を襲名する横山一彦さん。職人になりおよそ50年余。東京都指定伝統工芸士の人形師であり、年末には"増田屋よこ山"の屋号で"熊手職人"としての顔も合わせ持つ横山さんにお話をうかがいました。


■この仕事を始められたきっかけなどを教えてください。


人形職人の家に生まれたから(笑)。あの時代の東京下町じゃ、職人の家なら倅(せがれ)が継ぐものと相場が決まっていたからね、学生の頃からずっと手伝ってたし。


ただ仕事が面白いって感じたのは、雛人形じゃなくて実は熊手づくりが最初だった。


熊手づくりはもともと母方の実家がやっててね、高校生のときに手伝いに行ったんだよ。見よう見まねで自分が作ったものが年末のおとりさま(浅草鷲神社 酉の市)でどんどん売れていく。縁起物だからお客さんたちがありがたがって買ってくれてさ、それが本当に嬉しくてね。モノづくりの醍醐味みたいなやつをそこで味わっちゃった。

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"幸運をかき集める"という意味を込め、商売繁盛の縁起物として飾る熊手。日本各地で年末に開催される"酉の市"で販売される。


実家で手伝っていた雛人形は問屋さんや小売店さんに納めていたから、実際に飾ってくれるお客さんの顔が見えなかった。だけど熊手と同じ縁起物だし、きっとありがたがって買ってくれて大切にしてくれるんだろうなと思ったら、家業に誇りを感じられるようになってきてね、そんな経緯でのスタートだったよ。


■人形師を志すきっかけとなったのが"熊手"だったとは意外でした。
 では、いつごろから自分が人形師であることを意識しはじめたのでしょう?


30代の頃。親父が亡くなった後からだね。親父はひとつずつ丁寧に教えてくれるような人ではなく「見ておぼえろ」の昔気質の職人だった。なのに全ての技を盗む前に逝っちゃったもんだから、まだまだわからないことだらけでさ。


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それでもお得意さんから注文がくるから、工房にあった大小さまざまな人形を解体してみたり、親父はどういう道具を使っていたのか調べてみたりしながら、無我夢中で技や知識を自分のものにしていった。正直あのときは"上手に作ろう"というよりも、とにかく"注文に間に合わせよう"って意識で七転八倒してたよ。あれこれ考える余裕もなく、ただお得意さんに迷惑はかけちゃいけないって一心で忙しい日々を過ごしていたら、知らない間に身も心も職人になってたってわけだよね。


■その後、横山さんは半世紀に渡り職人を続けられているわけですが、
 当時から現在にかけて、人形の移り変わりがあれば教えて下さい。


伝統工芸の世界はずっと昔から変わらない作業の繰り返しと思われがちだけど実は全然違う。その時代の流行や景気によって人の嗜好も変わるから、つくるものが全く変わらないというのはありえないんだよね。


人形本体で言えば、今は比較的落ち着いた色柄が好まれているけれど、80年代なんかは衣装も派手だったしもっと大ぶりだった。最近でいえば人形がわりと小顔になってきているから、それに合わせて肩幅を小さくしている。少しずつの変化だから気づきにくいだろうけど、10年刻みで品物を比べるとその差がわかりやすいんじゃないかな。


材料の変化だってある。たとえば胴体。20年位前は"藁(わら)"を使っていたけれど今は"桐材"を使っている。どちらにも一長一短があるけれど、結果自分には桐胴が扱いやすかったから今もそれを使っている。最近じゃ安価で質の高い"樹脂製"も出てきているけど、工芸品としてできるだけ天然の材料を使いたいって考えもあるからこれから先も使うことはないだろうね。


それとここ数年で急激にサイズが小さくなった。都市化が進んで住宅環境が変わってきたからと言われてるけど、きっとそれだけじゃないことが気がかりなんだよね。たぶん節句品がどんなものなのかっていう意識も変わってきちゃってるのかな。


それは業界関係者でもそう、注文にしろ売り方にしろ、電化製品かなんかの"工業製品"や"大量生産の消耗品"とかと勘違いしちゃってる人が少なくない。「人生の節目を祝う品なんだよ」「家族の思い出の品になるんだよ」ってことを、節句に携わる人間が忘れちゃいけないと思う、専門店でも量販店でもね。


あと人形を取り巻くもので一番大きく変わったのは社会そのものだよ。昔はここまで子供が少なくなるなんて思ってもみなかった。作り手の数も減って、当時は20軒くらいの人形工房が東京にあったけど今は5、6軒だもんね。だけど江戸節句人形の伝統と歴史を途絶えさせてはいけないって想いから、それぞれの工房は今も切磋琢磨しているよ。

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江戸雛らしく渋好みな衣装が目立つ。


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雛人形の胴体。胴の中心は桐製。


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腕(かいな)折り。人形の姿が決まる最重要工程。


■横山さんの雛人形の魅力や特徴を教えてください。


うちは大きいのも小さいのも作るけど、両方を比べたときにできるだけそっくりになるように作ってる。小さくなるからって部品を減らすことはしない。各パーツの大きさは同じ比率で作ってるわけじゃなく、あくまでも人の目で見たときに同じく見えるようにしている。重要なのは"どの人形でも同じ雰囲気が出せるか"ってこと。雰囲気ってのは作り手の"らしさ"みたいなものかな。


それに生地の柄出しにも気を使ってるな。細かい柄を大きな人形に使うと、のっぺりした立体感のない仕上がりになっちゃうし、大柄を小さい人形につかうとせっかくの綺麗な柄が何だかわかんなくなっちゃう。作り手はできるだけ生地を無駄に使うまいとしがちなんだけど、美しさが損なわれたら元も子もないでしょ。だから多少の無駄も覚悟していろんな生地をストックしてるよ。


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大小さまざまな部品がケースに分けられ工房内に所狭しと並ぶ。

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工房の反対側には素材も色柄も異なるさまざまな生地がずらり。



■では最後に、今後の展望や目標を教えてください。


まず"もうこれ以上はできない"ってくらいの理想の雛人形を作りたいよね。モノづくりには正解がないんだけど、50代を過ぎたあたりからようやく「自分の人形はこうだ」ってのが少しずつ見えてきた。その理想形が完成するのを作っている自分が一番見たい。だからまだまだ頑張らないと(笑)


それに良い人形を作るためには、生地の裁断や縫製なんかの"下ごしらえ"までがしっかりしてないとうまくいかない。自分の作業だけを極めたところで全体からにじみ出る美しさってのは生まれないんだよね。完成するまでに関わる職人も世代交代が始まってきているけれど、これまで同様にコミュニケーションや信頼関係を大事にしてみんなでいいモノを作っていこうと思ってるよ。


次にお役目を終えた(飾らなくなった)人形は"押入れの奥に仕舞い込む"のではなく、寺社で行われる供養祭などで"手を合わせて納める"のが大切なんだということを伝えていきたい。


人形を手放す(供養する)ときは誰でも"幼い頃の記憶"だったり"親との思い出"を思い返す。長い月日が経っても心の奥底に働きかけ、小さい頃には気づかなかったことを呼び起こさせてくれるのもまた人形の大切な役割だと思うんだよ。だからお役目を終えた人形は、日本各地で行われる人形供養の場で丁寧に納めてもらいたいね。

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最後は次世代の人たちへの願いになっちゃうけど、節句本来の意義、それは"子供への感謝"だけでなく"親への感謝"に気づく、家族相互の行事なんだってことをちょっとだけ意識してお祝いをしてもらいたいな。


世の中はどんどん便利になっていくけど、情緒的なことは少しずつ失われてきちゃってる。だからこそ上っ面だけでない、伝統文化の"本質みたいなもの"を継承してもらいたいんだよね。そのためにも伝統の名に恥じないような雛人形をこれからも作っていくからさ。





眼楽亭富久月ロゴ

横山一彦 ■東京都指定伝統工芸士

昭和22年東京生まれ。作号"眼楽亭富久月"。人形師である父のもと人形製作を始め、平成14年に東京都指定伝統工芸士認定。伝統的工芸品指定品目にも認定される"江戸節句人形"の制作者として活躍。粋で繊細な江戸文化が評価される昨今、改めて注目を集めている雛人形師です。▶インタビューページへ


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