江戸押絵羽子板 むさしや豊山

作家 むさしや豊山


江戸の風情を今に伝える―。むさしや豊山


創業明治元年。東京都墨田区に工房を構える押絵羽子板の老舗、むさしや豊山。


当主で五代目となる野口豊生さんは昭和25年東京生まれ。父 野口誠之助のもと7歳から修行に努め、22歳から本格的に制作をはじめました。


その長いキャリアから羽子板をあらゆる面から熟知しており、東京都指定伝統工芸士、東京都優秀技能者東京マイスター、節句人形工芸士など様々な肩書の持ち主でもあります。

むさしや豊山イメージ

江戸押絵羽子板 発祥の起源。


東京で羽子板づくりが発展した背景には"歌舞伎"の存在が大きく関わります。


もともと厄祓いや神事に使われていた羽子板ですが、江戸時代、大衆芸能として最も人気を博していた歌舞伎の人気にあやかり、アイドルのブロマイド的に歌舞伎役者らを模写した型が制作されるようになったのだとか。


これをきっかけに、現在のような立体的できらびやかな装いの羽子板が作られ始め、江戸の人々を中心に人気を博すようになります。

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歌舞伎の発展とともに発達し、庶民の手により創り出されてきた江戸の羽子板。その"伝統技法"と"粋の精神"は脈々と受け継がれ、現在は伝統工芸品"江戸押絵羽子板"として、野口さんら職人の手仕事にて美しい作品が作りだされています。



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むさしや豊山の特徴とこだわり。


優美な表情


羽子板の印象を左右する顔(=面相/めんそう)は全て手描き。面相師としての活動を主とする野口さん本人の手によるもので、制作には何本もの筆を使い分け、ぼかしなどの高度な技術を取り入れながらその時々に"最高のお顔"を創造しています。女性目線で美人を描いた日本画家"上村松園"の画風を取り入れ、繊細にして上品な表情をたたえています。


また同じく手描きで表現された指先も、女性の優しさとしなやかさが感じられることでしょう。

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押絵と形状


綿を包んだ細かなパーツを一つずつパズルのように組み合わせて作る押絵羽子板ですが、近年は豪華さを出すため、綿を大量に入れる傾向にあります。しかし豊山はスタイルを崩さず、適度な綿の入れ加減で女性のしなやかなで自然なラインを表現しています。


また近年、羽子板の形状はどんどん豪華になり、板から着物がはみだした"振袖型"が主流となってきてますが、豊山では、「永遠に発展する」と言われる末広がりの形状に基づいた"縁起担ぎ"を重視して、末広がりの板の中だけで羽子板の主題となる世界観を表現しています。

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衣装と配色


豊山では伝統を重んじ、安易に流行を追いません。衣装には素朴ながらも上質な生地を使用しています。装飾する際は刺繍などではなく、手描きで絵柄を彩色した味わい深い職人技をみせます。


また注目してほしいは、その"色彩感覚"。この配色の妙こそ江戸押絵羽子板の真髄であり、むさしや豊山の真骨頂でもあるのは言うまでもありません。

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年の瀬の風物詩。


東京都台東区にある浅草寺では、毎年12月17~19日の3日間、羽子板市が開かれます。


羽子板が今日のように売られるようになるまで、唯一の商いの場だったのが"市"。師走の江戸では各所に羽子板市が並び、女性たちは縁起物の羽子板を買い求め、それを大事に抱いて家路を急ぐ光景が良く見られたそうです。


職人たちの熱意により運営されるこの行事では、羽子板だけでなく"年の瀬に見られる日本の美しい情景"が今もなお大事に守り継がれているのです。

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縁起物の枠を超え、江戸の風情や美術工芸品としての趣を湛える"むさしや豊山の江戸押絵羽子板"。

初正月を迎える女児のいるご家庭はもちろん、季節の室礼飾りや海外への本格的なニッポンみやげとして、ぜひ多くの方に手に取ってもらいたい工芸品です。



むさしや豊山ロゴ

むさしや豊山 ■勲五等瑞宝章 受章 ■東京都指定伝統工芸士 ■節句人形工芸士

創業明治元年。東京都墨田区にある江戸押絵羽子板工房の老舗。歌舞伎、日本舞踊を主な題材とし、その舞台背景を羽子板の構図に取り入れている。衣裳は本絹の着尺、柄は手描きにこだわり、素材のもつ色彩の美しさを最大限に引出す配色センスは唯一無二。伝統を後世に継承しつつ、新しい発想を加えたものづくりに挑戦するべく日々、研究を重ねている。


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